とうとう家で使っていた誰かの電波が飛ばなくなった。
お陰で、足が冷えるのを我慢しながら、公園へパソコンを持って行く というはめになる。そこまでして連絡を取らなければいけないことというのもないのだけれど、日本での一週間というのは長い。山口小夜子さんが亡くなり、ユーロは20円も安くなり、千葉で地震が起こり、日本列島は40度を超えていた。
今、会っておきたい人には、だいたい会った。ほんとうに、その人たちに出会えてよかった。出会うことは偶然だったりすることの方が多いけれど、その偶然は必然だ、といつもおもう。
まみちゃんとの生活もあと1週間だ。わたしはずっと、ひとりで静かに、ただ平穏に暮らしたかった。それがわたしのながいこと描いていた夢だった。その夢もかなって、1年ほど過ぎて、彼女はうちにやってきた。家主だったりに恵まれないで引っ越しを転々としていた彼女は、わたしが日本に帰ったあとの引き継ぎをする、ということで、6月下旬から一緒にいる。波長があうひとと一緒にいるのは心地いい。もともとわたしがひとりで住んでいたから部屋も一つ、ベットも一つ(ソファベッドだからツインくらいはある)、小さい家だけどイライラすることもなく、話し相手がいて嬉しかった。きちんと生活できていた。一度、人のぬくもりというものと、帰ってただいまを言ったりすることを知ってしまうと、わたしは日本で一人暮らしがまた再会できるのかが心配になる。それと同時にまみちゃんのことも心配だ。わたしたちは結構似てた。寂しがりやで、誰かが家にいればひとりでも出掛けられるのに、家に帰ってひとり、という事態になるととたんに出掛けなくなる。謎の行動が多い二人だった。
そんなのんびりな生活も あと1週間で終わってしまう。終わってしまうけど、新しい出発だ。どこへ行くのか、ひとつもはっきりしていないけれど。地図を持たずに散歩するのは好きだ。なんとかなるでしょう。